素ヱコ農園は、平飼い養鶏×卵が美味しい×応援ということで、お客さんが選んでくれていると思う。
平飼い養鶏とかは、殆どの人が全く関心のないことだと思う。
だから、平飼い養鶏の価値を伝えていかないといけない。
今、妹が台湾の大学にいってるのだが、コロナで移動できないで暇そうにしていたので、素ヱコ農園のwebページ用に、平飼い養鶏について、ブログを書いてもらった。
ブログは自分で書いた方が速いし正確だけど、人に何か任せることも(経験として)大事かなと思い、アルバイトとして、やってもらうことにした。
一年ぐらい養鶏をやっているので、何もかも当たり前になってしまっていたが、妹が書いたブログを読んで、当たり前じゃないことを思い出した。
そもそも今平飼い養鶏は自体は日本ではかなり少ない。
市場に出回る9割以上の卵はケージ飼いだ。
僕がいつも目にする鶏の砂の中でモゴモゴしている光景や(砂浴びという)、
止まり木に休んでいる光景、
羽をバタバタしている鶏の光景は、日本の養鶏からしたら、当たり前じゃないということに気づいた。
というか、そもそも鶏を飼っている人の方が少数で、飼育方法に関心がある人なんて、かなり少数だ。
日本の多くの人たちにとって、鶏の飼育方法は関心の外にある。
ずっと同じことをやっていたので、平飼い養鶏が当たり前になっていた。
ネットで調べても、平飼い養鶏は結構目にする。
でも、それはきっと僕が養鶏をやっていて関心があるからだ。
普通の人は、あまり関心がないはずだ。
僕も、大学生の時は全く飼育方法など気にならなかった。
たまには他者の目を入れたりして、自分を客観的に見れるような機会を作らないといけないなと妹が書いてくれたブログを読んで思った。
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今、ホモデウスという本を読んでいる。
サピエンスがどんな特徴や性質を持って歴史を紡いできてか?そして、これから、どこに向かうのか?
上巻だけしか読み終わってないが、既に十分に面白くスケールが大きな話に、頭がゴロンゴロンと転がるような感覚になっている。
歴史学者が過去を研究するのは、過去を繰り返すためではなく、過去から解放されるためだ。(81ページ)
という言葉が頭に残っている。
歴史を学ぶことで、現在の社会は、どんな文脈に影響されてきたかが分かり、それを理解したことによってそこから抜け出せると筆者は述べていた。
歴史を学ぶことは、社会や自分を相対的に見れて、そして、自分を別の角度から見る道具にもなるなと思った。
ブログにしたり、歴史を勉強することにしたり、自分を相対化できるようにすることは非常に重要だ。
普通の人は、友人や職場の人間関係でそれをやっているのかもしれないが、僕の職場には現状鶏しかいない。