素ヱコ農園の日々

佐賀県伊万里市で便利になった世の中で、手間のかかるストレスフリーの平飼いで外国産の餌に頼らないこだわりの餌作りを行っています。

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新年早々のインフル

新年早々、インフルエンザに罹ってしまった。

 

3日連続の40度の熱。

かなりきつかった。

 

食事も喉を通らなかったし、寝るのでさえ体が芯から冷えて難しかった。

 

これが続くのなら生きるのは嫌だなと思うぐらいきつかった。

 

でも、そんな体験を新年早々にできたことで良かったと思う。

 

僕が休んでいた間の二人の子育ては妻がやってくれて、会社はチームのメンバーがやってくれた。

 

僕がいなくても世界が回ることに少しのがっかり感とそれ以上の安心感がある。

 

2025年は大きく飛躍する一年にする。

もう僕がいなくても会社は回る。というか、無理してそういう状態にした。

 

だから、 僕が新しく価値を作らないと会社が滅んでいくような状態になった。

 

素ヱコ農園=卵の会社からの脱却を図りたい。

 

そもそも、僕の強みは鶏を育てることではない。5年前は全く鶏すら触ったことなかった。

僕の強みは、文字通りゼロから何か作り出せたことだと思う。

 

今年は卵に匹敵する、いや、それ以上のものを生み出したいと考えている。

全くのゼロではない。

素ヱコ農園を立ち上げた経験があるし、そのお客さんもいる。

 

その資産をうまく活かして、今やっている養鶏とうまくシナジーを作り出したいと考えている。

 

いろんな生き方がある中で、田舎で生き生きと自分らしく生きていくという選択肢もあると思う。

僕はそんな生き方をして、とても楽しく充実した毎日を送れているし、そんな生き方をもっとスタンダートにしたい。

 

そのために仕事を行う。

 

 

 

28歳。誕生日

28歳になりました。
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数日前、チェンマイから帰ってきたばかり。


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穏やかな気持ちとソワソワする気持ち。

安心感と危機管理。

 

そんな両面の気持ちを持ちながらも、穏やかな誕生日となった。

 

ささっと、27歳を振り返る。

 

プライベートでは、2人の子育て。

息子2人の成長を日に日に感じるのは嬉しかった。

 

仕事では、直売所を作ったり、菓子製造業を本格始動したり、インスタグラムがバズってフォロワー3万人になったり、創業から働いているメンバーが辞めたり、クラファンの支援者が1000人超えたり、メンバーがパートアルバイトを含めて6人から15人になった。

 

うまくいったことやうまくいかなったこと、学びの多い一年だった。

 

28歳はどんな一年にしたいか?

 

「賢者に学び、自分なりに表現する」

 

という一年にする。

 

僕が抱えている悩みなんてものは、もう既に古今東西誰か悩んで解決してる。

 

せっかく令和のこの時代に生まれたのだから、新しいことで悩んで、その悩みを解決したい。

 

そのためには、勉強が必要。

 

田舎に住んでることがとても良いと思う。

 

明治維新の中心的役割を担ったのも日本の田舎の萩の松下村塾のメンバーだった。

そういえば、吉田松陰は29歳でこの世を去った。

 

ATPの電気勾配システムを発見したピーター・ミッチェルも、イギリスの田舎の小さな研修所だった。

 

日本の田舎の農家だからこそ、新しい価値観や生き方のオルタナティブを提案できるんじゃないかな。

 

ひとまず、28歳まで元気に幸せに暮らせてることに感謝。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

野球で学んだこととこれからの5年間

僕は高校時代に野球部でレギュラーになれなかった。

(結果を出せなかった)


チームは甲子園にも行けなかった。


誰よりも練習した自信があった。

朝練は1回も欠かしたことなかったし、居残り練習も毎回やった。


家に帰っても素振りしたり、走ったり、トレーニングしたり、とにかく野球に時間を費やした。


でも、レギュラーにはなれなかった。


当時は、悔しくて悔しくて、仕方なかった。

 

なぜだろうか?


今では、理由が明確に分かる。


それはチームの戦略に則った選手じゃなかったから。


守備が上手いとか。上手くないとか。


パワーがあるとかないとかいうのは、一つの要素だ。


一人でやってる訳じゃないので、チームとして勝つ確率を増やすために、チームとして勝つ方法を増やせる選手であれば、試合に出れる。


野球は9人でやるスポーツなのだ。


9人でポジションも9個という決められた枠の中で、どういった個性を発揮して、チームの勝つための引き出しを増やせるか?が大事になる。


パワーがあるとか、足が速いとか、守備がうまいとか人にはそれぞれ個性がある。

 

僕の高校時代を振り返ると、足を活かしたプレーをするメンバーがいなかった。


そして、僕は足を活かしたプレーが得意だった。


今思うと、そこを徹底的に磨いて、足を使ったプレーが生きるための、バッティングや技を磨いていれば、チームの作戦の幅が広がっていた。


あとは、守備面などの致命的なミスがなければ、僕はレギュラーになれていた。


なのに、僕は何も考えずひたすら遠くに飛ばすためのバッティング練習をやっていた。


出塁して足を生かすためのバッティング練習を1年生の時からやってれば、結果は変わっていただろう。


もう二度と高校生の時のような惨めな思いはしたくない。


ひたすら無目的に頑張っても結果は出ない。


状況を見極めて、自分の個性を発揮できることを磨かないといけない。


その意味で、会社の今後の方向性を考えていくと、かなり明確になった。


まず、やりたいことは、

「日本の田舎から価値観を揺さぶる」

そして、提供したい価値は、


「時間を慈しむということ」


そのためにどうするか?


養鶏場は、今の飼育方法と餌作りで、同規模のものを別の場所に一つ。


畑を4町、田んぼを10町。

有機農法で野菜を作る。そのため空き家等を購入し、全国から若い人を受け入れる。


オンラインで野菜と卵と日用品セットの定期を2000人程に。


オーガニック野菜や卵、お菓子、雑貨がある店舗を伊万里-福岡間に5店舗作る。


旗艦店は牧場のように鶏やヤギや畑が近くにあって、お客さんは農を感じられるような場所に。


野菜の加工場を作り、商品にならなかったものを、糠漬けとふりかけに。店舗とオンラインにて販売。


卵の雫は、ある程度オペレーションを自動化し、生産規模を10-20倍にする。


「平飼い卵」の象徴となるお菓子として、有名店で取り扱い全国規模の銘菓にする。

 

上記をこの5-7年でやる。

社員数は50人ぐらい。


そのために必要なことはたくさんある。


でも、そこから逆算して、計画を立てて行きたい。

認識

状況を正しく捉えるというのは、すごく大事なことだ。

 

僕たちは佐賀県伊万里市で、珍しい平飼い養鶏をやっている。

創業3期目、代表は27歳。

 

どんどん人口が増えてるところはでなく、どんどん人口が減っている過疎地。

 

1個20円という卵ではなく、一個100円の卵。

 

効率的ハイテクとは、ほど遠い、非効率な飼育方法。

 

そもそも難しいし、誰もやろうとしないことをやってる。

 

という認識を、僕を含め働いてるメンバーが持つことが大事な気がする。と思った。

 

「そもそも難しいし、あまり他の人もやってないことをやろうとしてる。」

 

このメンタリティを持てるかどうかで、大変な時に乗り越えられるかどうか?が変わる。

 

大変だな忙しいなと思った時に、

 

「そもそも、そういうものだよね。これをどうするか?」って考えれると、とたんに世界が変わる。

 

かくいう僕も、ここ数ヶ月はかなり忙しく、気持ちが滅入りそうになった。

 

「でも、起業するってそういうもんだよね。会社を新しく作るってそういうもんだよね」 って思うと、その度力が湧いてきた。

 

いま、事務所を離れて、養鶏場の大改革を行ってる。

 

会社をほとんど空けても回ってるのは、山口や美和さんへ信頼できてるから。

早めの2024年の振り返り

日々忙しく過ごしていたら、気づけば年末となった。

 

もう1カ月で2024年が終わる。

 

改めて、どんな一年だったのかな?と振り返ると

 

2月に小窓をオープンした。

同時に、スチームコンベクションオーブンを導入し、本格的に菓子を作り出した。

 

黒川というへんぴなところで、お店を作るのはチャレンジだったが、思いの外、お客さんが来てくれていて、とても良かった。

 

また、4月から5月で5人のパートさんを採用した。

今では、リーダーを任せてたりして、業務の大半を担ってくれている。

 

また、インスタがバズり、フォロワー3000人から3万人になった。

これにより、自分たちで商品を販売できるようになった。

 

9月に行ったクラファンで1000人以上から670万円の支援があったが、これはこのインスタがなければ、難しかったと思う。

 

その資金で、加工場を移転したり、大きなスチームコンベクションオーブンを導入した。

 

9月〜10月にはまた5人ほどパートさんを採用した。新しいお土産を作るために、今、準備している。

 

10月に小窓で、うちの卵を使ったソフトクリームの販売を開始した。

 

11月に行った商談会は、卵の雫という新商品をメインで持っていった。

かなり手応えがよくすでに取引が数件決まった。

 

養鶏場では、新たに工事をして、新しい鶏舎を建てたり、餌の倉庫を建てたり、電気工事をしたり、天井を張り替えたりした。

 

また、春から、B型就労支援施設と業務提携をした。

毎日働きに来てくれていて、とてもありがたい。

 

振り返ると、一年で組織の人数も増え、できることが増え、2025年につながる一年だった。

 

ただ、反省点は、卵の生産だ。

一年通して、全く安定しなかった。

 

お菓子で得た利益は全部養鶏場の損失で食い潰すという感じだった。

 

養鶏場で働くメンバーも頑張ってくれていたが、それが結果としてなかなか結び付かず辛酸を嘗める思いの一年だった。

 

養鶏場として、卵をきちんと取るための行動が取れていなかったし、それを自分がトップとしてうまく導けなかった。

 

10月から自分が責任者として、養鶏場の現場に入った。

今は安定して生産できる体制になったが、それでは意味がない。

 

自分の力不足、組織としての弱さを感じた。

 

人の力を最大限に引き出せるようなリーダーにならないといけないと強く感じた。

 

この一年で痛感したのは、配置と役割の重要性、そして、コミュニケーションの大切さ。

 

鳥は飛ぶのが上手だし、魚は泳ぐのが上手だ。

魚に空を飛ぶのを教えても、ほとんど飛べない。

 

魚には泳ぐ環境を作ってやれば、勝手に泳ぐし、鳥は飛べる環境を作れば勝手に飛ぶ。

 

その人の性格的な適切や能力的な適切をみて、そこをうまく発揮できるような仕事の任せ方ができてなかった。

 

そして、そのためのコミュニケーションがすごく重要だと感じた。

 

現在でも、パートさん合わせると、15人ぐらいいる。

2025年は社員も3人ぐらい採用する予定で、20人ぐらいになる予定だ。

 

そうなるとより一層、上記のことが重要になってくる。

一人一人の能力を最大限に発揮できる環境を作れるようにならないといけない。

 

その方がお客さんにいいサービスできるし、働く側と働いてもらう側もwinwinだし。

 

とにかく自分の力不足を感じた一年だった。

 

残り1カ月あるので、2024年を走り切りたい。

もう一回ギア入れ直す。

 

 

 

 

 

 

半年間のプログラム、トランジションラボが終了した

トランジションラボという、個人の変革に焦点をあてた半年間のプログラムが終わった。 

 


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学生時代、留学でお世話になったトビタテ(LEAP FOR)の無料のプログラム。

 

定期的に集まって、みんなからフィードバックもらったり、毎月、コーチとセッションを行うというプログラム。

 

トビタテは、留学が終わっても、ずっと繋がりがあるから、とても良いコミュニティだと思う。

 

今回参加していたのは9名。

フリーランスや研究者、アーティスト、旅人、会社員、先生、個人事業主、など全く違うバックグラウンドや肩書きの人が「トランジション(変革)」というテーマで、集まっている多様性がとても面白かった。

 

成果を求めるのではなく、一人一人、丁寧に個人の悩みや葛藤に向き合って、みんなでその人の変革を後押しするプログラム。

 

回を重ねるごとにみんなの変化がすごく楽しみだった。


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今回、最終発表のために東京に行った。

 

僕自身、この6ヶ月でどんな変化があっただろうか?

 

在り方の部分がとても変わった気がする。

 

”日本の田舎から価値観を揺さぶる”

これは僕たちの会社のミッションだが、これを自分の人生を通してやるという腹が決まったような気がする。

 

6ヶ月前に、今年は1000万円資金調達(借入)をする予定だったが、6ヶ月経って借予定を大きく上回る2500万円の借入をした。(累計4000万円)

 

それはこのミッションを意識するようになり、もっと必要だと本気で思ったから。

 

半年後にやろう、一年後にやろうと思っていたことを今やるためにはどうしたらいいか?それで本当に価値観を揺さぶれるのか?

 

と常に自分に問いが頭を巡るようになった。

 

6ヶ月前は、あれをやろう、これをやろうと、意識が散漫になっており、エネルギーが弱い状態だったが、今はかなり絞られていて、そのエネルギーが強くなっている。

 

半年前にはできなかった苦しい決断も、今はできている。

 

これが全て正しいことだとは思わないが、迷いがなくなったのは確かだし、今が社会人になって一番エネルギーが高い。

 

今朝も朝5時半に起きて10キロ走った。

正直、走るのは苦手だし、やりたくない。

 

価値観を揺さぶる

でも、それ以上にこの言葉が僕を突き動かしてくる。

 

もっととんでもないことをやりたい。

 

だから、とんでもないことを常日頃からやっておかないと心も身体も持たないだろう。

そして、それをやる準備をずっとやってる。

 

ベンチプレスもそうだ。

100キロ上げると上位1%になれるらしい。

 

今、90キロ上げれるので、残り10キロで上位1%。

ちなみに、半年前は60キロだった。

 

これからも自分を変革し続けたい。

 

田舎から人々の価値観を揺さぶりたい。

 

素敵なプログラムに参加できて感謝です。

コーチの皆さん、運営の皆さんもみんなボランティアでとことん向き合ってくださって感謝です。

 

これから先も変わり続けることを楽しみます。

 


素ヱコ農園ウェブサイト
https://suecofarms.com

 

素ヱコ農園インスタグラム

https://www.instagram.com/suecofarm/

 

佐賀のお土産を作るためのクラウドファンディング

camp-fire.jp

 

 

開始から1週間ですが、支援者数が500名を突破しました。

開始から1週間ですが、支援者数が500名を突破しました。

本当に、ありがとうございます。

 

佐賀のお土産を作るのは、とても難しいことだと思います。

 

でも、こんなに応援していただいていることで、その目標に少しでも近づけたかなと思います。

 

この応援を形にできるように頑張ります。

 

農業を始めたのは、4年前。

最初は、7年間使われてなかった耕作放棄地を再生させるところからのスタートでした。

大学を卒業して、留学まで行き、大企業を蹴って始めたのに。

 

毎日毎日ゴミ拾いと草刈りの日々。

不安で不安で、ただ暗いトンネルをただひたすら走ってるような感覚でした。

今の様子を当時の自分に見せてあげたいです。

 

土地もなし、お金もなし、養鶏の経験もなし、社会人の経験もなし。

 

文字通り、本当にゼロから、素ヱコ農園は立ち上がりました。

 

そして、4年経って、今では多くの方に応援していただけるような農園になりました。

私たちの強さは、この歴史にあると思ってます。

 

「佐賀のお土産を作る」

というのはとても大変なことだと思います。

 

でも、私たちならできると信じてます。

 

まだまだクラファンの期間は続くので、この思いを現実に近づけるために、ネクストゴールに向けて走り続けます。

 

引き続き応援をよろしくお願いします。

素ヱコ農園

松本