伊万里に帰った。
今ここにあるのは、不安と期待と入り混じった複雑な感情だ。
改めて、自分がなぜ伊万里で農業をするのか?っていうのを書いてみようと思う。
①祖母が農業をやっているから
②農業じゃ稼げないから
③田舎に希望がないから
①そもそも、僕は祖母が農業をやっていなかったら、絶対に農業に興味を持たなかったと思う。
性格的に、アイデアや戦略を考えるのが好きなので、抽象的なものを扱う事業会社や政治などが好きだ。
だが、そんな僕が農家の家に生まれたって、なんか不思議なことだなって思うから、農業に興味を持った。
そして、うちの祖母は全く稼いでない。
びっくりするぐらい、真面目に仕事しているのに。
②農業じゃ稼げない。
みんなから言われる。
どんどん人がいなくなっていったし、同級生もほとんどみんないない。
佐賀出身っていうのが、恥ずかしいっていうのも聞く。
確かに、東京で佐賀から来ましたって言ったら、笑われたこともあった。
(僕はいつもより、1.5倍ぐらい佐賀弁強めたけど)
③希望がない。
将来に期待してない。
僕はこの豊かな国に生まれただけで、幸せだと思う。
そうじゃない国も見てきたから。
本で読んでそうじゃない時代もあったの知ってるから。
なんでもやれる国、時代に生まれたからこそ、僕らは言い訳せずに、自分の人生をまっとうする義務があると思う。
いつからか、夢を語ると現実を見ろと言われるようになった。
努力してないだけやと思う。
先人のように、僕らも素晴らしいバトンを次の世代に渡したい。
ちなみに、僕の夢は、世界中から、日本のinakaに移住する人が増えること。
田舎こそが、希望の象徴にすること。
だから、農業をする。
小さくやりたい。
小さく誰でもできる形で、でも、効果は最大に。
*
まあ、要するに、
今、うまくいってないからやる。
ってことかな。
マイナスからのスタート。
きっと、相当大変やと思う。
これまで相当な数の人が、トライして失敗してきた道だ。
だからこそ、できた時、松本啓として、生きててよかったなと思えるはずだ。
*
最後に、僕が失敗するとしたら。
焦って、すぐにある程度結果が出る方向に舵を切ってしまうことだろう。
農業は結構、時間がかかる。
経済的に苦しくなる可能性がある。
ここで、普通の仕事をして、たくさん旅行して、車買って、結婚している人たちと比較して、焦って別のことに手を出してしまう可能性がある。
これが一番、危惧している。
時間がかかっても、やり続けること。
そもそも、結果がすぐには出ないものとして、採算度外して、数年覚悟して、いいものをひたすら作り続ける。
これを信じて、真面目に当たり前のことをやっていれば、きっと道は拓けるはずだ。
ひらく・教え導く。
僕の啓の意味だ。
世の中を切り拓いて、人々を導いていく存在として生きていくことが、僕が生きてる意味だと思う。
*
と、いろんなことを言ってるが、まずは本当に小さいところから。
種を植えて、収穫して、誰かに食べてもらう。
自分でやりながら、誰よりも勉強して、驚きと感動がある農業をやる。
日記も書き続ける。
SNSで繋がっている人たちは、みんなすごい人たちばっかりだ。
自分の小さい小さい、日常を発信するのって、ダサいかもしれない。
それでも、1日1日前に進む。
コツコツと。