今日、僕の研修先の農場に、石川県から視察に来た。
無農薬で野菜を育ててる農家らしい。
インスタで、研修先の農家を知って、ビビッと来たらしく、200キロぐらいある石川から遠路は?ばる南知多まで見学に。
個人的には、お土産でもらった石川土産の甘納豆が美味しすぎて、美味しすぎて。
これはいつか自分でも作ってみたいなと感動しました。
改めて、こんなに遠くにいる方まで情報が届くインスタってすごいなと思った。
そして、そういう新たな出会いって、僕と生納豆のように、何か新たな発見をくれる。
今回のブログでは、そんなインスタなどの情報発信について考えてみようと思う。
僕も今、研修を通して自分が学んだことをブログにして、情報発信しているから。
ブログを書いて学びを発信するようになって、大きく分けて2つの利点があった。
一つは、ブログを書くという過程に。
もう一つは、発信するという過程にあった。
まず、書くという過程。
僕は、このラーニングピラミッドという考え方を知ってから、すごく革命が起きた。
このブログを書くという行為は、ラーニングピラミッドでいう、定着率90%の<他者に教える>という行為に該当する。
つまり、ブログを書くという過程で、学んだことを最も定着させることができている。
これにより日頃の学びが加速される。
次に、発信するということについて。
発信することの利点についてはすごく感じている。
ただ、ここについてはマイナス面もあるのかもなーとも思うのでそこについても考えていきたい。
今日の石川からの訪問でも、そうだが、発信すると似たような意見や人が集まってくると思う。
さらに、集まってくるだけじゃなくて、周りの人が勝手に情報を教えてくれたりする。
例えば、こないだ僕は三重に行った。
その理由は、三重で農業やってる現役の神戸大学生に会いに行くためだ。
ポモナファームという、最新の設備を備えた美味しいトマトを作る農家をやっている。
この歳で農業をやっていて、かつ同級生ということもありすごく盛り上がったし、これからも続いていきそうな縁だった。
それを繋げてくれたのは就活をしていた時の関西の友人だ。
きっと、ブログで発信していなかったら、繋げてもらえてない。
また、小さなところで言うと本ももらったりした。
きっと、一人じゃ三重に行ってないし、
きっと、一人じゃこの素晴らしい本にも出会えてない。
それは人のご縁があってから。
そして、それは発信をしたから生まれたことだと思う。
僕も以前、全然発信しなかったことがある。
その理由はシンプルで恥ずかしかったから。
SNS情報では、すごい人がたくさんいて、同級生でも起業してたり、既に社会で活躍している人たちがたくさんいて、その人たちと比べて自分の体験を人に発信するのが恥ずかしかった。
でも、そんなのいいやって思った。
別に経験に大小ないし、小さな世界で生きていても、すごく深いところまでいけるなと。
そんな勇気を一つくれたのはこの本。
お茶という世界から、日本人の精神を説いていて、こんなに小さな世界で生きてるのにここまで深い話ができるのかと感銘を受けた。
この本を読んでから、小さい自分を受け入れれたし、もっというと、小さいことへの可能性をものすごく感じた。
他に発信できないのは、自分が言いたいことを周りの目を気にして言えないということもある。
この環境って、小学校や中学校のクラスだなって思った。
「何か質問ある人?」
この質問はほとんど誰もあげない。
僕も思春期の中学生の時は、手を絶対にあげなかった。
例え、質問があっても。
質問できない理由は、恥ずかしいからだと思う。
恥ずかしいと思うパターンは、間違うことを恥ずかしがるものと、そもそも質問するという行為自体に対するものがある。
でも、よくよく考えると、間違えた方が記憶として定着するし、質問した方がより深く学べるからそっちがいい。
質問すること自体恥ずかしいというのは、往々にしてある感情だが、よく考えると分からない。
だって質問をしていい場面で質問することが何の恥ずかしいことなのだろうか?
そんなことを考えてると、クラスでは発表したがいい。なんか、謎の恥ずかしさがあるけど。
ってことで、これからも発信やっていこうと思う。
2週間ぐらいブログを書いて読者が100人を超えた。
YouTubeの〇〇万人には到底及ばなきい数字だし、これが高いか低いかもわからない。
ただ、自分が書いたことを見ず知らずの人が読んでくれて評価してもらえてるのが素直に嬉しい。
毎日、学ぶ。
そして、結果を出す。
農家として。