卵産まなくなってる何羽かいたから、鶏を捌いた。
鶏を捌くことは、今日で3回目だ。
その作業はまだ慣れない。
鶏の口にナイフを入れてから、血が落ちてるのをしばらく待った後に、お湯につけて、羽をむしる。
羽を取り終えたら、内臓を破らないように丁寧に取り出す。
すると、クリスマスの食卓に並べたら、すごく映えそうなな丸鳥の姿になる。
これまでは、丸鳥のまま食べていた。
ただ、今日は僕らが普段スーパーで見るようなもも肉や胸肉、鶏皮など部位ごとに分かれるように捌きたかった。
僕が鶏を捌いているのをばあちゃんは近くで見ていた。
そして、
「鶏の捌き方は、講習で習ったとね?」
と聞いてきた。
「習ってないよ」
と僕は答えた。
今回のように部位ごとに鶏を捌いた経験はない。
「丸鳥 捌き方」
とYouTubeで検索すると、いろんな人が鶏を捌き方をアップしてくれていた。
僕は、それを見ながら、作業を進めた。
完璧ではないが、そこそこ綺麗に捌くことができた。
今の世の中はほんとに便利だなと思う。
調べて出てこない知識は、ほとんどない。
だから、やり方がわからないというのは、ただの言い訳でしかない。
(足が止まったら、自分にそう言い聞かせるようにしている。)
今の世の中は、簡単に知識が手に入るから、実践し経験することが大切になっていると思う。
鶏を捕まえてきて、しとめて、羽を取って、内臓を取って、捌くまでに1時間以上かかった。
僕がまだ慣れてないということも大いにあるが、それをさっ引いても大変な作業だ。
精神的にも。
スーパーで買えば、もも肉は100gあたり100円前後だろう。
普段僕らが食べている鶏肉がこの値段で手に入る異常さ。
それは、実際に自分の手で鳥を殺めて肉にして食べてみてわかる。
そして、僕はこの異常さに肯定も否定もせずにまずは、感謝したい。
その異常さを成立させるために、いろんな無理をしているという背景がある。
世界中から大量に輸入している遺伝子組み換えの穀物
一つの養鶏場に数万羽と飼われている狭いところでおしつぶされそうになりながら、異常に太らせた日光を一度も浴びない鶏たち
スーパーに大量に並べられ、10円や20円の違いで手に取られたり、取られなかったりする。
僕は、この異常さのおかげで、これまで数え切れないほど、美味しい思いをしてきたし、これからもするのかもしれない。
ただ、この自分で殺めて食べるという経験をする前とした後では、食べるということへの感覚は大きく変わると思う。
「もう何十年も鳥を捌いてない」
とスエコばあちゃんは言っていた。
この経験をいろんな人に体験してもらって、食べるってことがどんだけ大変か(もしくは大変じゃないか?それは当人の感覚に委ねたい)ってことを感じる場を作りたいなと思った。
11月あたりで、できたら、鳥を捌いて食べるのを企画したいな。