朝、いつものように養鶏場に行くと異変を感じた。
養鶏場の中にに鶏の羽がたくさん散らばっていたからだ。
中を覗くと、いつも通り元気に走り回っている鶏の他に、地面に転がって動かない鶏がたくさんいた。
ざっと見て20羽ぐらいは地面に横たわっていた。
中には、頭が無いものもいた。
近くに数羽の顔が落ちていた。
何かが養鶏場の中に入ってきたのだ。
そして、鶏を襲ったのだ。
今までこのようなことは全く無かったが、それは突然起きた。
悲しさと悔しさなどいろんな感情がこみ上げてきた。
大事に育ててきた鶏が無残に殺されている現場は見るに耐えなかった。
周りをよく見ると、柵の下から掘って入ったような穴があった。
明日どうなっているか怖い。
また、鶏がやられると本当に悲しい。
今回の被害だけでも、経済的損失は20万円ぐらいは出ているし、何よりこれまで可愛がっていた鶏がやられることが悔しい。
農業は、自然相手で、こういうトラブルがついて回るということを身に染みて感じだ。
また被害が出ないように、いろんなところを補修した。
でも、正直、どこまでやったら良いかわからない。
1回、その味を覚えると、獣たちはまた来ると聞く。
<卵を作る>ということに関してはある程度できるなと思ってきたところで、今回のことが起きた。
ちょっと気が緩んでいたのかもしれない。
何か大きなものに
「自然相手はそんなに簡単には行かないものだぞ」
と言われているような気がした。
どんなに頑張っても、災害や害獣で一瞬にしてダメになるのが、農業。
謙虚さを忘れちゃいけないなと思った。
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いきなりだが、ネイティブアメリカンについて話をしたい。
農作業をしていて、ネイティブアメリカンについての話をラジオで聞いたので。
ネイティブアメリカンたちは、『所有』という概念があまりなかったという。
人間を神の創造物だと考えていたヨーロッパ人に対して、ネイティブアメリカンは自分たちを自然の一部とみなしていたらしい。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に来て、ネイティブアメリカンたちに土地を買おうと交渉していたが、その意味が本当に理解できなかったと思う。
我々には、分からない。
空が金で買えるだろうか?
雨や風をひとりじめできるだろうか?
土地は地球の一部であり、我々は地球の一部であり、地球は我々の一部なのだ。
という言葉が残っている。
我々は、自然の一部なのかもしれない。
そうだとしたら、コントロールするのではなく、上手に付き合わないといけない。
自然に近い仕事をしている僕だからこそ、謙虚に日々生活したいと思った。