今日はとにかく地域の行事が盛り沢山だった。
午前中は伊勢講と言って、地域の人たちが家に集まって、神社の神主さんを呼んで、お参りをした。
伊勢講は、1月、5月、9月と年3回あって、地域の人たちの各家を転々として行われる。
昔は、伊勢神宮への参拝をしたり、食事もみんなで炊き出しとかしてたらしい。
うちの地区は、だいぶ簡略化され、弁当をみんなで食べるだけだ。
でも、伊勢講として、こうして地域の人たちで集まっているところも、今では珍しいらしい。
ただ、こういうやり方は今後、厳しいんじゃないかという議論が今回あった。
こうして伝統があることは非常に素晴らしいことだが、それをやる人の数がだんだんと減ってきてるし、高齢化でそれをやること自体が大変になってきていることも事実だ。
午後からは鬼火たきがあり、地域の人たちが集まって火にあたりながら、お酒を飲んだり、食事をしたりした。
「田舎は人付き合いがめんどくさい」
これはよく聞くことだし、そういうイメージがある。
僕が思うのは、人付き合いの前に、人付き合いをする人がそとそもいないということだ。
かつては、めんどくさいところもあったかもしれないが、今はそもそも人がいないから、そんなこともない。
そのめんどくさくないところがなんとも寂しい。
地域のつながりで、やってることって非常に大きい。
たとえば、田舎の綺麗な景観は、そこで田んぼを耕している人がいるからだし、地域住民がみんなで草刈りをしているからだ。
でも、人がいないから、今後ますます荒れていくだろう。
ほんとに深刻な問題だと思う。
また、文化もだんだんとなくなっていくはずだ。
田舎に住む若者として、そういう地域社会、村社会の昔と今とこれからについては真剣に考えていきたい。
(参考)
普通は戸主が講員となり、回り番などによって決めた宿に集まって、天照(あまてらす)皇太神の掛軸をかけ、礼拝をしてから飲食をする。旧暦の1、5、9月と年に3回の集まりをもつ所や、毎月あるいは隔月、さらには年1回など、地域性や時代相によって変化がみられる。そこで、くじを引いて、1人ないしは2人が、皆で積み立てている掛け金で伊勢参りに行く。春の仕事前か秋の収穫後に行くことになるが、二年参りといって年末から年始にかけて出かけるものもある。出発の際には代参者が講員を招いて宴を催す。これをデタチなどという。帰還のときも村境まで坂迎えをし、ハバキヌギとかドウブルイという宴を開いて、神札や土産(みやげ)を贈る。同行した者同士はタビヅレなどといって、その後特別に親しいつきあいをすることもある。こうしたものとは別に、伊勢神宮と直接には関係をもたない伊勢講や、神明神社の存在に注意しなくてはなるまい。 コトバンクより