焚き火をした。
一緒に高校野球やってた地元の友達たちと。
そうそう、先週も焚き火をした。
先週は、テント立てて、そこでそのまま寝た。
最近は、居酒屋にいくようなノリで、焚き火をしている。
カジュアルに焚き火ができること、
これは田舎に住むものの特権かもしれない。
風が強いと燃え上がり、薪が少なくなってくると火力が弱くなる不安定な火のように、火を囲むとそこにいる僕らは、いろんな過ごし方をしてしまう。
僕らも火の前だと普段は話さないようなしんみりした話をしたり、逆に普段よりもはっちゃけたり。
満点の星の下で、ぼーっと火を眺めて、ロマンチックな気分になってもいいし、周りには誰も居ないので、お酒を飲んでワイワイ騒いでもいい。
火をを焚くと、真冬なのに、全然寒くないのも、またいい。
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嬉しかったことは、
「俺たちも、高校の友達が素ヱコ農園のユニフォームを作ろう」
と友達が自分達で良さげなオーバーオールを探してネットで買っていたこと。
まあまあ値段したけど、4人でそれぞれ好きな色を選んで買った。
「作業着買ったけん、これで逃げれんね」
と笑っている友達を見て、僕の心は熱くなった。
ほんと、いい友達持ったな。
「まず小屋を作るぞ」
自分達の活動をするための小屋を作りたいらしい。
僕としては、自分がやってることが、みんなの遊び場になるなら、最高だと思う。
小屋の作り方という本を買ったが、見ていると自分たちでも出来そうな気がしてきた。
時間は、かかるだろうけど、ぼちぼちやっていこうと思う。
みんなも、もうユニフォーム買ってしまったし、逃げれないだろう。
今後のことを考えても、一回、小屋作りをやってみれば、今後軽い工作はほとんどできるようになりそうなので、すごい楽しみだ。
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焚き火も、小屋作りも、田舎に住んでいる人ならではの遊び方だろう。
これからは、遊びの時代だという。
テクノロジーによって、必要なものは極限まで安くなり、事務作業もなくなるだろう。
効率的な社会。
僕が好きな本に、ミャエルエンデのモモという物語がある。
無駄な時間を削った先に待っている灰色な世界。
みんな、高層ビルが立ち並び、人のの繋がりが希薄になり、せかせかしている。
エンデが1973年に書いた世界は、より現実的になっている。
最近は、コロナウイルスによって、自粛、マスクの徹底、人の行き来がしにくくなり、ますます自由がなくなってしまった。
これから、社会は、どうなっていくんだろうか?
焚き火をして、ぼーっと火を眺められるような時間や余裕が、僕が住む田舎にはある。
速くないし、便利じゃないし、大きくもない。
ゆっくりで、非効率で、小さくて、でも、豊かな暮らし・時間。
そんな日々を過ごせることが嬉しか思う。