「雨、大丈夫?」
そういうメッセージが届くと、
ちょっとしたことだけど、なんか心があったかくなる。
びっくりするぐらい雨が酷くて、僕の家の田んぼは、結構浸かってしまった。
でも、佐賀の人、みんなそうだし、どこの農家さんだって苦労してるんだろうな。
きっと酷いところはもっと酷い。
やれることをやって、あとは天に祈るしかないんだろう。きっと。
雨の被害に直面している時に、昔、読んだ寺田寅彦さんが「日本人の自然観」という本で、書かれていたことを思い出した。
地理的要因が、日本人の思考や文化にどう影響を及ぼしたかを、西洋文化と比較してた本。
すごくすごく面白かった。(無料で読める本なのでおすすめです。)
日本は、四季があり、すごく自然豊かな国で、自然の恩恵をすごく受けている一方で、地震や台風など、災害も多く、自然に対して、慈愛と畏敬の念を抱いて、いた。
(既にめちゃめちゃ感謝してるし、コントロールするなんて、そんな滅相もない。。みたいな感じかな。。)
それに対して、西洋は、痩せた土地で自然に対して、恩恵を感じないと同時に、災害も少なく恐れも抱かなかった。
(今のままでは全くこの土地は機能してないし、どうやって自然をコントロールしてやろうかなみたいな感じかな。。)
それが科学の進歩につながったということ。
人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。
何ゆえに東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくも一つとしては、上記のごとき日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。
すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。この民族的な知恵もたしかに一種のワイスハイトであり学問である。しかし、分析的な科学とは類型を異にした学問である。
たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視 して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭 のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁 に起こるように思われる。昭和九年十年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。
西欧諸国を歩いたときに自分の感じたことの一つは、これらの国で自然の慈母の慈愛が案外に欠乏していることであった。洪積期 の遺物と見られる泥炭地 や砂地や、さもなければはげた岩山の多いのに驚いたことであったが、また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台風も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発達には真に格好の地盤であろうと思われたのである。
この地理的要因が、人々の思想や行動、そして科学の進歩に大きく関わったという論は非常に興味深かった。
日本に住んでる以上、災害とはどうしても付き合っていかないといけないんだろう。
そもそも、きちんと農作物を収穫できること自体が奇跡なのかもしれない。
だから、収穫祭という祭りが発達した気がするし。
僕らは生かされているだけなんだろうな。きっと。
当たり前に、感謝しよう。
そう思った1日だった。