素ヱコ農園の日々

佐賀県伊万里市で便利になった世の中で、手間のかかるストレスフリーの平飼いで外国産の餌に頼らないこだわりの餌作りを行っています。

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田んぼをやって気づいた日本人の閉鎖的な価値観の合理性

今日は農業のことと直接的には、関係ないかもしれないけど、農業をしてて気づいたこと、友達と話をしてて思ったことがあったので、それを言語化してみようと思う。

 

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その友達は、海外のいろんなところに行ったり、長期滞在してたりする。

 

視野が広く、話をしてていつも勉強になる。

 

そんな友達が、日本と海外の違いについて話をしていた。

 

「海外の人は、いろんな価値観を受け入れるけど、日本の人は、人の目を気にして、一つの価値観に当てはめられてなんか苦しそうだ」

 

確かに、そうだなと思う。

 

結構、人のこと気にして、我慢してしまうことあるし、違う人を嫌う傾向はあるなーって思う。

 

生きづらいなーとも感じる。

 

その原因は、なんなんだろうか?

 

教育という話がある。

 

日本は、明治維新以降、富国強兵で、西洋に追いつけ追い越せで、一つのゴールにむけて頑張ってきた。

 

物づくりで、決められたことをミスなくやるためには、なるだけミスしないようにして、決まったことを速くやる能力、いわゆる情報処理能力が必要で、日本の教育は、それを推し進めてきた。

 

確かに、受験教育を取ってしても、決まったことをどれだけ覚えることができて、どれだけ速く処理できるか?を問われている気がする。

 

これじゃ、多様性の文化は、育まれそうもない。

 

 

その友達が言っていた教育説。

本当に頷けるところがたくさんあった。

 

ただ、農業を始めて、日本の同調圧力をかけて、周りと同じことを強要してくる文化というか価値観が、少し理解できるようになった。

 

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そう田んぼだ。

 

米は日本人の主食であり、僕らの生活にものすごく根付いている。

 

田んぼと、この日本人の同調圧力は、非常に密接に関わっていると思う。

 

田んぼをやっていて、嫌でも隣近所周りの田んぼのことを気にしないといけない。

 

田んぼは水の調節などが難しく、隣の田んぼと同じような作業スケジュールで進まないと他の人に迷惑をかけてしまう。

 

自分だけが勝手に水を貯めることはできない。

少なくとも僕の地域はそうだ。

 

そうなってくると、自然と他の人に目を向けてしまうし、他の人が勝手な行動をとってたら、非常に迷惑がかかる。

 

かつて、日本の人口のほとんどが、農家で米を作っていた。

 

人のことを気にして、自分の好きなようにやれない。

 

いや、人のことをしっかりと見て、他の人と同じ行動を取るというのは、田んぼ社会では非常に合理的な生存戦略だ。

 

と僕は思う。

 

逆に、ヨーロッパなんか、いろんな国々が陸続きで、いろんな価値観が常に行き交う。

 

いちいち、それを一つの価値観で、縛りつけるよりも、一つ一つをしっかりと受け入れて、認める方が遥かに合理的だったはずだ。

 

だから、海外の人は自分の意見を持つことに対して、なんの抵抗もないし、他人の意見もすっと受け入れることができるんだろう。

 

島国、そして、陸続きの国、それぞれの環境に適した形で文化や価値観が形成されて今日までそれが受け継がれてきたんだろう。

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ただ、問題なのは、インターネットのお陰で、人や情報の行き来が盛んになり、排他的になるのが、非合理的になったのにも関わらず、日本においては、多くの人がまだそのやり方を採用していることだろう。

 

 

ここから、学ぶことは二つあって、人は環境によってその環境に適した進化をとげるということと、

 

一度根付いた価値観は、例え環境が変わっても、簡単には変えれないということ。

 

自分が進化したい方向に、環境を作れる人、そこに身を開ける人が、うまくいく気がする。

 

僕は適切な環境、作れてるだろうか。