妹が東京に帰った。
3月からいるから、3ヶ月ちょっと佐賀にいたことになる。
公共交通機関を使えないということで、空港まで送っていった。
いたらいたで、ちょっとうざいけど、居なかったらすごく寂しくなる。
随分と妹が居たので、それが"当たり前”になっていた。
コロナのおかげではあるが、こうして、一緒に時間をともにできたことがなんかすごくありがたいことだった。
*
<未来>ではなく、<過去>を作るということ。
いつからか、そんな感覚が芽生えた。
今日、書く内容は、今まであまり言語化したことないし、人に伝えたことない感覚。
農業と全然関係ないし、うまく書けるかどうかもわからない。
でも、妹が居なくなったタイミングだからこそ、ちょっと言語化してみようと思う。
<過去>について。
今は、<過去>の積み重ねだ。
そして、未来も。
どんな未来をつくろうか?
って考えるより、どんな<過去>を作りたいか?
って考えて行動するようにしている。
<過去>しか確かなものがないから。
過去がすごく制御不能で、遠い存在に感じる出来事があった。
オランダに行ってからだ。
一日中収穫だけしかしない、という日が随分と続いたことがあった。
朝から晩まで全く同じ作業をひたすらと永遠やり続ける。
明日も、明後日も、明々後日も、その次の日も、来週も、その次の週も
気がついたら、1日が終わって、また次の1日が始まって、いつの間にか終わっていた。
明日に希望がもてなかった。
どんだけ頑張っても、成果は出ないし、希望がもてない。
楽しみにできるのは週末だけ。
週末は、友達が遊びに来て、いろんなところに行って、すごく楽しい時間だった。
でも、また気付いたら、単調な毎日。
もうあの楽しかった時間が、制御不能の遠い存在になっていて、気がつけば単調な日になっている。
さっきまで、友達がいて、あんなに自由で、あんなに楽しかったのに。
自由が全くない、希望が全くない、明日も明後日も、その先も、ずーっと同じ状況が続いて、未来が完全に閉ざされた状況の中だった。
未来が見えなくなった時に、<過去>をすごく見るようになった。
過去は変えられないからこそ、後悔のない<過去>を作りたいなと。
人生を振り返った時に、どんな過去があるかで、その人が納得できるかどうか決まるはず。
だから、納得できる<過去>をどれだけもってるかが重要な気がする。
今、この瞬間も、あっという間に、制御不能な過去に変わる。
今が<過去>になって、また、今が<過去>になって、また今が<過去>になる。
<過去>になった瞬間に制御不可になる。
もう完全に自分の手から遠い存在になる。
そんな制御不可の<過去>がどんどん自分に迫ってくる感覚。
変えられない<過去>が積み重なっていく。
だから、操縦可能な今や未来を、振り返った時に満足できる<過去>にしたいなって。
*
うまく言語化できたかわからない。
未来を作るってより、過去を作るっていう感覚。
妹と、いい時間を過ごせたかな?
あの時間は帰ってこない。
うまく言語化できたかわからない。
目に見えて、今この瞬間が当たり前じゃなかったことに気付く時がある。
それが今回だったので。
自分が納得できる理想の<過去>をこれからもたくさん作っていければなと思う。