電話があった。
大学受験のために、浪人している後輩(教え子?)からだ。
僕は、彼がまだ中学生だった頃、2年間、塾の先生をしていた。
もう5年ぐらいの付き合いになる。
彼は、早稲田を目指して勉強しているが、前回の模試の成績があまり振るわず、思わず電話してきたようだ。
一応医学部目指して15時間ぐらい勉強していた身として、参考になるかわからないが、話を聞いた。
受験は長期戦だし、基礎的なことをコツコツやればきっと点数が伸びると思う。
彼と話をしていて、愚直に努力していて、すごいなと思った。
と、同時に、受験生の悩みを聞いてると、なんか新鮮に思えた。
彼らにとっては目の前のテストの結果が、ほぼ全てなんだ。
テストの結果で、大きく自分の感情が浮き沈みしてしまう。
テストの点が悪いことが、眠れないほど、きつい悩みだ。
*
話は少し変わるが、
先日、ある社会人の方と話をしていた。
その方は、僕より一回りも歳をとっている。
結婚をして家庭を築いていて、会社の役職もあって、すごく順風満帆に見えるが、自分がしたいこと悩んでいた。
また、ある人と話をしていた時。
その人は、政治家で、すごく頭も良く、みなさんからの人望も厚い。
その人は、どうしたら、街がよくなるのか、とあれこれ、悩んでいた。
*
今回、後輩の話を聞いて、
何歳になっても悩むんだな、と思った。
受験生はテストのことで、家庭を持つお母さんはきっと子供のことで、なかなか恋人ができないはそのことで、社長は事業や社員の生活のことで、政治家のことは社会のことで、
テストのことと、社会をどうするかでは、悩んでいる規模感は全然違う。
でも、きっと、本人の中の苦しさは、一緒だと思う。
僕は、受験生の時、テストの成績が悪かった時、眠れないほど、辛かったし。
好きな女の子にフラれた時も、人生の終わりかと思った。
何歳になっても、悩みは尽きないし、サイズのどうこう、関係なく、悩みは等しく辛い。
だとしたら、なるだけ、大きなことで悩みたいなと思った。
ゴミがうまく捨てられずに悩むことも、
テストがうまくいかなくて悩むことも、
どうやったら差別がなくなるかを本気で考えて悩むことも、
より良い社会を目指して悩むことも、
きっと本人にとってはとてつもなく辛いことで、同じエネルギーを使うはず。
(突き詰めると、感情は体内の化学反応なんじゃないかな)
同じエネルギーを使うのなら、なるだけ、大きい悩みを持った方が、地球に優しいと思う。
だって、どんな悩みも、側から見たらわからないけど、本人にとってはとてもとても、辛いから。
かくいう僕は、目の前のゴミをどうするかで、悩んでいる。
こんなちっぽけなことで、悩んでもしょうがない。
とりあえず、袋大量に買って来て、コツコツ、袋詰めしてます。
もっと社会のために悩みたい。